日本一自慢のおばあちゃん

102歳のNさん、食欲低下で入院されてきたのが出会いのはじまりでした。

日本一自慢のおばあちゃん

耳が遠くほぼ寝たきりに近い状態でしたが記憶力はバツグン
入院するまでは一人で暮らし、道東勤医協くしろ医院より往診をうけていました。
往診日には先生にお決まりのドリンクをキンキンに冷やし楽しみに待っているNさんでした。

釧路協立病院へ入院中もたくさんの家族とたのしそうに会話を楽しんでいました。
ひ孫さんもたくさんいます。
なかでも誕生日が同じひ孫さんは(100歳のときにひ孫さんの成人式のお祝いをしたそうです)
小さいころからNさんと手をつないで畑に行きいろんな野菜の名前を教えてもらったり、野菜の名前の由来を教わったりとひいばあちゃんが大好きだったそうです。
当時幼少児だったひ孫さんは「そら豆はどうしてそら豆っていうか知っている?僕知っているよ」と自慢げに話されていたそうです。

そのような家族に見守られ、いよいよ最期のときがやってきました。
呼吸が少しずつ苦しくなっていくなかでも、家族の名前をよびいろんな話をしました。
「ばあちゃん、私たちがいるとすごく話をしようとがんばって苦しくなるのでは・・・」と家族のかたが心配するほどでした。
多くの家族に見守られながら旅立っていったNさん。
「100歳をこえているひとはたくさんいると思うけど、102歳で一人暮らしの生活をしていたばあちゃんは日本一のばあちゃんです。」と、わたしに手を握りながら話してくれました。

以前、新聞記事で亡くなった患者さんを裏口からではなく正面玄関でお見送りをしている記事をみたことがあります。
病院では死を隠す風潮からでしょうか、死後は裏玄関でお見送りするのが当たり前のことのように仕事をしていました。
今回その記事のことを思い出し、Nさんを正面玄関からお見送りをしたかった・・・
102歳の人生でどれだけがんばって人生をおくってきたのかみんなで語りながら伝えながらお見送りしたかった・・・

患者さまを”生活と労働の場でとらえる”視点・・・本当に大切にしていきたい。

そしていろんなことにこだわりながら看護したいと感じた出会いとお別れでした。

釧路協立病院3病棟 T


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