東日本大震災医療支援報告⑧

道東勤医協釧路協立病院がおこなってきた東日本大震災への医療支援は、この5月をもって終了しました。

3月から5月までの三ヶ月間にわたり総勢7名の看護師が、仙台市、大船渡市へ支援に入りました。
3月の先発隊が支援に入った時と、最後に行った支援の形は当然ながら変化していきました。
ひとりが行う7日間は短期間ではあるけれど人生の中で大変貴重な経験とたくさんの方がたに出会うことができました。
最後に震災医療支援行ったA看護師の報告です。
【Aさん80歳代】
神社の神主をされていて高台にある神社は避難所としても使われていました。
この度の津波では、1階の天井まで浸水し、津波が押し寄せても神社から離れないとちゃぶ台の上にあがり海水と共にちゃぶ台が浮き上がり波がひけるとそのまま静かにちゃぶ台が地面に着き無傷だったことを話してくれました。仏滅の日でないと病院には受診することができず、持病の高血圧症のお薬がなくなり
往診時の血圧は200㎜hgでした。次の仏滅までの薬の処方をしたのと、市から支給された血圧計をお渡しすることができました。
【Bさん40歳代】
仮設住宅に入居された方です。往診チームの医療チームの字をみてBさんから相談があるんですと声をかけてこられました。目がみえにくいことと、血圧が230㎜hgもあり、診療情報計画書を早速記入してもらい県立病院受診をうながしました。仕事が忙しく受診する暇がないと話されており、チーム全体で”気になるかた”として毎日きにかけるようにしていました。やっと仕事の都合をつけて受診することができたことと、『あのとき、声をかけてみてよかった』と涙で報告してくださいました。
医療を受けたくても、震災の影響で受診できずにいるかた、困っている方はまだまだいます。
医療は待っているだけではなくて、地域にでむくことがまだまだ必要だと強く感じます。
被災地でたった一人、看護師として何ができるのだろう…。
じっとこの場にはいられない。
なにか自分が出来ることはないのか…。
日本中の人たちが思っていて、私たちは看護師という立場で現地に出向きました
被災地は異様な臭気とほこり、瓦礫のやま・やま・やま・・・
無機質な風景にとりかこまれた瞬間、本当に不安でした(TT)。
だけど、一歩踏み出して即席でつくられた医療チームの一員になったら、前のチームからの思いがぎっしりつまった引継ぎを受けると…。
看護師は場所がかわれど看護が自然にで出来るんですね(^^)。
不安は一気にふき飛び活動することが出来ました。
そして、自分の足跡を残すように引き継ぎをして支援は引き継がれてきました。
先日、釧路協立病院で最後の震災支援報告会を行いました。
皆で確認したことは、「これからは、東日本大震災を忘れることなくどんな形でもいいから、思い続けていくこと」。
地震の多い釧路で同じ規模の震災が起こるかもしれない。そのためにもたくさんの教訓をもとに備えること。
以上、シリーズでお伝えした東日本大震災支援報告を終わります。
担当K

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